からだ・はうす ヒストリー

このページは、からだはうすが誕生し成長してきた歴史です。笑えます
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   瀬戸社長の「からだ・はうす」物語  

   PART1、夢の始まり。   夢は、実現するから、夢。

私にとって、豊かさって何だろう、と考えたとき、自分の夢を実現する力だ、と思った。

からだ・はうすを作って今年で11年がすぎた。からだ・はうすを作ったのは、20代の後半、人を癒す仕事、人を治療する仕事をしたいと考え初めてから10年目、平成8年の1月の事。自分自身のヒーリング・スタイルを持つことを選択して、今までの治療院を退職し自分の店を天文館に作った。

これが瀬戸社長の夢の始まり。


勿論最初は、何も分からず試行錯誤。10年かけて作り上げてきた指圧と操体法の腕には少しばかりの自信があったし、かなりの数のお客さんも持っていた。でも自分が独立して、一つのお店の経営者になることと、良い治療家である事は、決して同時にできることではなかった。


治療にいくらかの自信は持っていても新しいお店には、お客は来なかった。勿論指圧だけでなく、アロマテラピーのトリートメントも、オーナーが同時に始めた。其の頃は、まだアロマテラピーという言葉も、リフレクソロジーという言葉もなく、そのようなトリートメントスタイルを教えてくれる人もいなかったので、自分達で、精油のことを学び自分達のスタイルのマッサージを組み立てていった。


精油を用いたマッサージなど、鹿児島の人たちは受けたことがない。そのような人たちを相手に、オーナーも、「マッサージが気に入らなければ、お金を返しますから」といってお願いして、マッサージを受けてもらった。誰もお金を返してくれとは、言わなかった。彼女の気迫と技術に多くの人たちがリピーターとなってくれた。


瀬戸社長も、其の当時はやり始めたクイックマッサージを取り入れてお客様が入り始めた、瀬戸社長も15分という短い時間に、自分の持てる技を凝縮してマッサージをした。お客様は次からは45分や1時間の長い時間を希望してくれるようになった。
夢の実現には、苦労はつき物。自分の休みも削って働いた。働かなければ、売り上げがなく、家賃やスタッフの給料が払えなかった。勿論自分の給料は、あまりもらえない。でも、自分の思いを信じて頑張った。


一月ごとにお客様は増えていった。1月にオープンした店は、夏の頃には、利益が出るようになった。瀬戸社長は其の頃ようやくスタッフと共に、夏休みを取り、バリ島の旅行を自分達にプレゼントした。
一つの夢が其の時かなった。


        
        PART2、苦しみもまた夢の糧

一つの夢がかなうと次の夢も動き始める。からだ・はうすが、少しずつ広がりを見せ始めた。
クイックマッサージも定着し、アロマテラピーのオイルマッサージも其のよさを理解してくれる人も少しずつふえ始めた.

オーナーの努力は計り知れない。人一倍お客様に対して気を使い、お客様を満足させることに、これだけ真剣に取り組む人はいないと思った。

アロマテラピーも普通のマッサージも、他人とふれあい、人の心と身体を癒す仕事ではあるが、マッサージを行う人の気持ちしだいで、その結果は全く変化する。

心を込めておこなえば、相手からも心が返って来る。いくら技術がよくても、資格があっても、それは、お客様にとって、本質的に大切な問題ではない。私もこの世界で20年近く生きてきたが、やはり心がこもっていないマッサージを行うと、お客様はついてきてくれない。

自分で開業して、初めて其の難しさにぶち当たる。そういえば、私がこの仕事を始めた頃、もちろん自分で開業する7年前、お客様の自宅にお伺いして、マッサージをおこなった時にお客様から、「お前は下手だから帰れ」といわれて途中で返された事がある。

私は悔しくて泣きながら帰った。そして、其の事を事務所に伝える時恥ずかしくて死にそうだった。これは決して大げさではない。18年たった今でも、其の言葉を忘れる事ができない。

其の言葉を2度と聴かなくてもよいように、技術に真剣に打ち込んだ。そして、寝ているときも、マッサージの夢を見た。マッサージをしながら、居眠りをして、お客様に一生懸命に謝っている夢。実際は、寝ぼけて、枕に向かって、「ごめんなさい」と頭を下げていた。

でも其の時があったから、今がある。「苦労は買ってでもしろ」という言葉があるが、其の時の悔しさがなければ、いまの「からだ・はうす」グループは、存在しない。

苦しみもまた、夢の糧。

   

     PART
3、夢は望む人の元におとづれる

からだ・はうすを平成8年にオープンしてから、クイックマッサージやアロマテラピー(其の頃は、アロマテラピーという名前がなかったので、ハーブエステと呼んでいました。)を中心として、少しずつお客様が集まり始めた。とてもありがたいことだ。


それでも最初は、今まで学んできたスピリチュアルなヒーリングも入れようと思い、バッチフラワーレメディやエドガーケイシーの治療法なども取り入れたり、気功治療も行ったりしていたが、そちらの方は、あまりパッとしない。やはりお客様は、しっかり身体に感じて気持ちのよいほうへと流れていく。


しかし平成9年になって、オーナーが、足裏マッサージを友達から習ってきた。勿論、英国式とかリフレクソロジーなどという言葉さえもまだなかった時代だ。私の店のウィンドーにはまだ、大きく「足つぼ」という名前がはってある。今では、とても恥ずかしくて使えない名前だ。しかし、10年前は、足裏マッサージもしくは足つぼと呼ばれていた。


私は、オーナーから足裏マッサージを受けたとき、これほど痛いものが、はやるはずはないと思っていたが、彼女の勧めで、店のメニューに入れてみた。
そしたら、彼女の思惑とおり、女性達を中心に大ブレークした。鹿児島の街中で、足裏マッサージなどをやっているのは、私の店だけだったので、お客様が並び始めた。1日で20〜30人来ることもあった。勿論マスコミもこぞって取り上げ、からだ・はうすは一躍有名店となった。


勿論1〜2年たつと日本中で、リフレクソロジーのとてつもないブームが沸き起こった。今でもリフレクソロジーの人気は根強い、やはりセラピーとしては本物なのである。ただし、行う人によって・・ではあるが。


私達は、ベッドにお客様に横になったまま行う独自のスタイルを開発した。通常のリフレクソロジーは、リクライニングチュアに横たわって行うスタイルであるが、からだ・はうすスタイルは、指圧マッサージやアロマテラピーと同じ場所でできるように、ベッドで行えるように改良した。おかげで、場所を移動しなくてもよいので、非常に効率がよい。


この足裏マッサージは私達にとって、救世主となり、お客様の来店数もまた売り上げも飛躍的に上がり、私達が、次の夢をつかむための大きな力となった。


まさに夢は、望む人の元に、それを実現するために訪れる。
夢は自らを実現してもらいために、実現する意思を持つ人の元に訪れるのである。



       PART
4、人の気持ちが集まれば夢となる


からだ・はうすは、足裏マッサージを取り入れることによって、またマスコミに大きく報道され、皆さんの注目を浴び、とても多くの方が来店してくださるようになりました。そして、私達も多くの方から支持され喜んでいただいているという自信がついてきたのです。


からだ・はうすを、オープンさせて、1年と6ヶ月後の事でした。
其の頃から、女性のお客様から、一つの希望が起こってきました。それは、男性の目を気にせず女性だけで、ゆっくりと楽しめるお店が欲しいよね、という希望です。其の頃は、私達も、まだマッサージ店の領域をさほど出ておりませんでしたので、「女性専門」という考え方はありませんでした。勿論10年後の今では、「女性専門サロン」というのは当たり前の事ですし、内装などもすぐれたより快適な空間を持つサロンもたくさんあります。


しかし瀬戸社長は其の当時、エステサロンは別として、あまり例のなかった、女性サロンをオープンさせる決意をしました。それは、からだ・はうす本店のお客様が増え手狭になってきたこともありますが、そこに大きな夢があると感じたからです。それも瀬戸社長の個人的な夢でなく、たくさんの女性達の夢です。もちろんおーナーも賛成してくれました。


一つのお店を作ってから、1年半後に新しいお店を作る事は、個人で始めた私達にとっては、とても大きな冒険です。しかし、幸いな事に、オープンして1年後に、会計士さんの勧めで、自分達のお店を、有限会社として設立していましたので、あたらしいお店を作る時も、国民金融公庫から、資金を借りる事ができました。
そして、本店のすぐ近くに 「からだ・はうすレディス」をオープンさせることができました。平成9年の8月の事でした。


ところが、レディス店をオープンさせた時に、思いもよらない事がおこりました。今回のお店は、ボディケアをはずして、フェイシャルや其の当時非常にまずらしかったタラソテラピーの全身パックなどの美容に関するメニューも取り入れました。


瀬戸社長としては、アロマテラピーの植物&大地の力(エッセンス)とタラソテラピーの海草&海の力(エッセンス)を併せ持つサロンを作りたいという気持ちがあったのです。
しかしながら瀬戸社長が企画した事は、よく外れる事が多いのです。
かなりの費用をかけて導入しタラソテラピーも、コース料金が高かったせいかあまり受けてくださる方がいません。またフェイシャルを前面に出した成果、エステサロンと間違われてしまいました。


あがるはずの売り上げが上がらず困ってしまいました。そのために1年後、皆さんから要望が多かった、ボディケアーをメニューに戻し、従来のスタイルに戻した所、お客様の動きが、少しずつよくなってきました。やはり天文館という場所でしょうか。皆さん気軽なメニューを好まれるようです。
それからというもの、オーナーの活躍もあって、レディス店は大きく成長し私達にとって、とても大切な柱に成長してくれたのです。

  

      PART
5、自分自身のために見る夢

からだ・はうす本店、そしてからだ・はうすレディスと、天文館に続けて2件のお店をオープンしていらい、休む暇もなく働いてきました。
本当に自分達が信じていることが、この社会で成り立つのか、自分達の技術や接客が通用するのだろうか、という緊張感と共に仕事を行ってきました。


からだ・はうす本店もレディスも、売り上げの波はありますが、平成10年からは大きく波に乗ってきました。毎年売り上げを、前年よりも更新し、少しずつスタッフも充実。ようやく一息つけるところまで来たのが、開業して4年を過ぎた頃でした。


そして、ほっと一息ついた頃、私達の胸によぎったのは、今までのマンションでの生活ではなく、大地に根ざした場所で生活をしたいという思いでした。今までは、ずーっと、マンションの上の階に住んでいたので、なぜか疲れやすく、エネルギー的に物足りないような気がしていたのです。


そこで思い切って、自然の豊かな場所に、庭のある自宅を作る事にしました。自分の家を作るなんて、おそらく人生のなかで、1度か2度の体験です。そのために、建売住宅を買うのではなく、自分達の求めている事をできる限り実現させるために、思いっきり夢をみて、欲張る事にしました。


まず、場所です。土地は自然の豊かな所で、庭をたくさんとるために、郊外で100坪以上の希望を出しました。勿論鹿児島の地図を見てあちらこちらと捜しました。
そしたら偶然、通りかかった七杜神社という、小さいながらもとても清浄な気を持つ神社に出会い
その近くに住みたいと思いました。


ここは鹿児島でも吉野と呼ばれる場所で、もともと島津のお殿様が、造園の業者を集めた場所で、今でもたくさんの造園業者が住んでいる場所なのです。
しかも、国立公園の指定地の範囲内らしく、特別地域に指定されており、工場や住宅なども規制があり、商業施設なども作れない土地なので、自然にあふれています。

そして、住宅建設ができそうな土地を知人に当たってもらい、幸いな事に200坪の土地を探し出しました。さ、そこからが、瀬戸社長の夢の始まりです。それも今回は、まさに自分自身のために見る夢です。

   

      PART
6、自分の理想の家を作る事


自分の夢を実現する事ほど楽しい事はありません。私の家が建ったのは、ちょうど1999年でした。そのときは2000年問題がおこっていましたので、どうしてもマンションでなく、大地の上に住みたかったのです。
それもその頃気になっていた風水や自然素材、ガーデニングなどやりたい事は全部やってみようと考えていましたので、家ができるまでの1年間はとてもワクワクした毎日を過ごしました。


まず風水、その頃はDR.KOPAの全盛期でした。私も見習って理想の家相図を一生懸命作りました
まず北西は神様の場所ですから、少し出っ張りを作り2階には床の間と仏壇を持ってきました。
おかげで今も、神様とは仲良しです。
そしてその対極に当たる南東は、健康運を司りますから、そこにも出っ張りをつけ、お風呂を作りました。
このお風呂は瀬戸社長の自慢のお風呂です。南に面した大きな窓からは、目の前には桜島が見えます。
しかも湯船は、桧の湯船です。香りも良いし朝日も当たるので、まるで露天風呂です。
おかげで、健康すぎるほど健康です。病気一つしていません。


勿論玄関は、人間運を良くする巽(南東)の方角にあります。正面にある桜島からは、毎朝素晴らしいエネルギーが入ってきます。このおかげで、私の仕事をサポートしてくれる多くの方との出会いがありました。そして石畳の道を歩き、バラと草花が咲く庭を抜けて、仕事に出かけます。


そして、この風水を生かすように素材も選びました、北のキッチンは、寒さとも相性がよく、火事にならないように、大理石を使用したシステムキッチンです。台所の壁自体も大理石で覆っています。
でも太陽があたる南や東は、すべて、自然の木材で柔らかく作ってあります。おまけに床下は、一面炭をしきこみました、これは湿度を調整すると共に、シロアリを防ぎまた家の波動を上げるためでもあります。


また壁も桜島のシラスを利用した土壁にしてみました、色合いも綺麗だし、湿度を調整して過ごしやすい環境を自ら作り出してくれます。おまけに消臭効果もありトイレや玄関が全く臭いません。かなり嬉しいです。


挙げればきりがありませんが、瀬戸社長のこだわりは、ちょっと徹底していますので、大工さん達も大変です。でもお1人昔ながらの宮大工さんらしき人がいて、「俺はこういう家が好きだ」と、時間と愛情をかけて一生懸命に作ってくれました。やはり、分かってくれる人がいてくれて助かりました。


でも、これだけの事をしても、すべて瀬戸社長のからだ・はうすのお客さんたちが協力してくれて、材料をとんでもなく安い値段で提供してくれましたので、無事つくり終えることができました
まさに自然素材の風水作りの家・・・そのものが夢の実現でした



   PART
7、大きく飛躍する夢  からだ・はうす いろはの湯店の誕生



自宅の家を作ってから、風水のおかげか、会社の売り上げも順調にのぼりっていきました。そして、2年後の2002年。からだ・はうすに大きな転機が訪れました。


それは、島津興業という、島津家のお殿様の流れを引く会社から、新しくできるスーパー銭湯の、マッサージルームを担当しませんか、という話が入ってきたのです。今まで、からだ・はうすは、天文館で独自の店舗を2店経営していましたが、他の商業施設の中で運営することなど考えてもいませんでした。


ところが、その当時、都市部では、スーパー銭湯や温泉でのマッサージ人気が大変高かったのです。それも、単に、指圧マッサージだけでなく、リフレクソロジーやアロマテラピーも組み合わされたリラクゼーション施設が、お客様の注目を浴びていました。


瀬戸社長は、急いで東京にリサーチに走り、いくつもの温泉施設をみて回りました。(あくまでも仕事ですからね)そして、鹿児島に帰るとすぐに、企画書を作り、島津興業に提出しました。
そしてそれが認められ、「野天風呂薩摩いろはの湯」に、からだ・はうすの3号店が出来上がったのです。

設計は、玉岡設計という、温浴施設の専門の会社が設計しましたが、マッサージルームは、私達が自ら、設計して工事を行いました。この「野天風呂薩摩いろはの湯」は、とても大きな温浴施設です。勿論なかには天然温泉も引いてありますし、レストランもあります。そして今流行の岩盤浴も、すでに備えてありました。今の時代のさきがけのような、施設だったのです。


そしてオープンしてから、びっくりしました。とんでもない数のお客様が、来店されるのです。
休憩する暇もなく働きました。110人以上マッサージする日が続いたのです。しかしながら、これはとても嬉しい誤算でした。私達もできる限りの力を、このいろはの湯店に注ぎこみました。
そのおかげで、今までの2店をあわせた売り上げさえも、はるかにしのぐ、からだ・はうすのメインのお店が誕生したのです。


最初は、私達も、いろはの湯のスタッフも、初めてのことばかりで、お互い試行錯誤を繰り返しながら一歩一歩進んできました。しかしこの一歩は、私達にとっy手、大きすぎる一歩でした。からだ・はうすが瀬戸社長の個人的なお店から、本来の会社経営のお店に移り変わるきっかけを、与えてくれたのです。


瀬戸社長にとっては、苦労も大きかったのですが、この「いろはの湯」店がなければ、今はなかったと思います。

 



  PART
8、夢の原点に戻ること  ヒーリングサロン・シャプラの誕生の背景


2002年にからだ・はうす・いろはの湯店をオープンさせてから、私達の会社は、とても大きく成長しました。お客様も今までとは比べ物にならないくらい増え、売り上げも2倍以上になりました。
その頃に起こった、アロマやリフレクの大きなブームを支える働きを、私達はさせていただきました。


勿論スタッフも増えさなければなりませんが、ここでとても大きな苦労が生まれることになるのです。この業界は技術の世界なので、スタッフが入れ替わるたびに、私達の技術を1から指導しなければなりません。
すべての新入社員が、きちんと技術を覚えてくれたらよいのですが、なかなかそうも行きません。中には、私達から、技術を教えてもらったら、すぐにやめる人もいました。


瀬戸社長は基本的に、セラピストになりたい、という人がいたら、喜んで技術を教えてきましたが、ここで少し立ち止まる事になりました。技術指導をすることは、会社として、大変労力のかかる仕事であり、技術流出というリスクのあることなのです。そのためにからだ・はうすは、社員の契約や技術研修に関しても、大きく変化しなければならなくなりました。


それと同時に、私のオーナーから、一つの提案が出ました。それは、その当時の「からだ・はうす」が、たくさん来店されるお客様のトリートメントをこなす事で精一杯の状態にあったために、ひとりひとりのお客様に対して、充分に心のこもったおもてなしが出来ていない、という事でした。


会社としては、たくさんのお客様が来店されて、繁盛する事は大切な事ですし嬉しい事です。
しかし、オーナーのセラピストとしてのプライドが、それを許さなかったようです。
彼女は、ひとりひとりを大切におもてなしをするサロンを作りたいと言いました。
お店の設備、技術、接客を今のからだ・はうすよりも格段レベルアップすることを考えていたようです。


最初、瀬戸社長は、こんなにはやっているお店があるのに、どうして違うスタイルを作る必要があるか、理解できませんでした。しかしながら、彼女の熱意と感性を信じて新しい、ブランド「ヒーリングサロン・シャプラ」をこの世に生み出す事になりました。2004年の春の事です。


そして、彼女が生み出した「シャプラ・ブランド」は2006年の現在、「からだ・はうす」の中心的な存在に育ちつつあります。それは、時代の変化にいち早く察知し対応したオーナーの功績です


その背景には2004年頃から、乱立してきたアロマテラピーやリフレクソロジーの個人サロンとトーリーメント料金の大幅な低下、そしてこの業界全体の技術および接客サービスの質の低下による客離れがあります。そのために、個人サロンの経営はうまくいかず、私達のからだ・はうすも、お客さまの減少という影響を受けることになりました。


そしてさらに、資本力を持った全国チェーン店の地方への進出が起こり、有名な商業ビルに、リフレクを中心としたお店が、生まれるようになってきたのです。綺麗に作られた、それらの店舗は、地方の人たちにとっては、とても魅力的に映りますし、丁寧な接客はやはり全国チェーン店ならではのものがあります。


この2つの時代の流れの中で、鹿児島出生まれた「からだ・はうす」という会社が、今以上に成長するためには、私達自らが大きく変化しなければならなかったようです。

次回は、「シャプラ」誕生です。

 



     PART
9、時代を駆け抜ける夢  ヒーリングサロン・シャプラの誕生



時代はいつも変化していく、昨日正しいと思っていたことも、今日はそうではない。勿論、奥深くにある真実はおそらく変わらないのだろうけれど、目の前に現われてくる事は、時代の波の中で大きくうねり変化していく。
2004
年当時全盛期を迎えていた、「からだ・はうす」も、将来を見据えて、新しいタイプの「ヒーリングサロン」を誕生させる事にした。もちろんオーナーのアイデアに基づき、彼女が理想とするスタイルを作り上げる作業が始まった。

今回は、街中にあるテナントではなく、始めから、私達が使用することを前提として、知人がテナント用の建物を作ってくれた。そのために、オーナーとデザイナーが、打ち合わせをし、サロンとしての理想の形を作り上げる事に成功した。


サロンの内装も、お客様の立場に立ってかんがえられ、照明等も作家さんの手作りによる鉄やステンドグラスの作品をメインに使用し、手作りの温かさと美しさが伝えられるように工夫した。それはとても柔らかく上品なエネルギーを回りに満たしてくれる。


家具もカサブランカ社の籐家具を用い、セラピーを受け終わった方が、その余韻を楽しみ、ゆったりと過ごせるように、居心地の良さにも気を配れるように考えた。
正面の玄関周りの植栽だけでなく、奥にある1坪ほどの庭にもトネリコの木を植えて、お客様の目を楽しませ、「気」の流れが良くなるようにデザインされている


サロンのメニューも、アロマテラピーは勿論、タラソテラピーの全身パックもできるようにした。フェイシャルで使用する化粧品に関しても、完全に自然なものであることを前提として、選びなおした。やはりお客様に最高のセラピーを受けてもらうためには、そこで使用される精油や化粧品にもこだわりたい、というのが彼女の思い。


そして、もっともこだわる事は、形には見えないけれど、最も大切な「おもてなしの心」。
彼女は、1日に受ける予約を制限して、ひとりひとりに、時間をかけ、最大限のおもてなしができるように心を配った。確かに、今までの「からだ・はうす」では考えられない上質のサロンが出来上がった。


もちろん鹿児島では、これだけのサロンの質と料金を理解してくださる方は、まだ少ない。
でもこの時代に生み出された「ヒーリング・サロン・シャプラ」は、時代の流れの中で、私達の会社を大きく満ちびいいていく事となる。

 



     PART
10、からだ・はうすの再生

からだ・はうすを、鹿児島にオープンさせてから、10年近くたちました。自分で言うのも変ですが、毎年毎年、前年の売り上げを更新し、非常に業績の良い会社に育ててきたつもりです、最盛期は、トリートメントのみの売り上げで、1億円に近い売り上げを出していました。


ところが、ここ2005年頃から、鹿児島の繁華街であり私達の活動拠点である天文館の低迷と重なるように私達のお店も勢いを失い、お客様の来店数が大きく低下し始めました。そして、アロマテラピーやリフレクソロジーの定着化に伴うブームの終焉もおこり始めています。私達の会社は、創立してから初めて、売り上げの減少という結果を作ってしまいました。
もちろん10年という節目を迎えた「からだ・はうす」自体にも、様々な解決すべき問題が起こっていたのです。


そのような時期に、まさにタイミングよく鹿児島最大の商業施設である「アミュプラザ」さんから出店のお誘いがありました。それも私達が、新しく生み出した「シャプラ」ブランドでの出店です。鹿児島の地元の会社(それもまだ小さな会社)に、依頼があること自体がまさに、驚きでありました。(シャプラ照国をオープンしてから2年後の事です)


瀬戸社長は思い切って、「からだ・はうす」の再編を行う事にしました。
天文館に2軒あったお店を、本店1軒にして、レディス店を、「シャプラ・アミュプラザ」として、アミュプラザに移転させるのです。今まで10年かけて「からだ・はうす」で培ってきた技術や接客、そして癒しにかける思いを、「シャプラ(蓮の花)」として、大きく花開かせようと考えたのです。


それは、オーナーも同じように考えていました。彼女のガイドからも「シャプラ」をもっと広げ、多くの人に癒しと学びを与える場所にしなさい、というようなメッセージを受け取っていたようです。今回の宇宙意識への祈りの中でも、シャプラ―蓮の花―はとても大切なキーワードになっています。


そして、シャプラの2号店をオープンさせると決めてから、次々とサポートが入り、通常では考えれないスピードで、素晴らしいお店を作り出す事に成功いたしました。
2006年9月15日「シャプラアミュプラ」は、アミュプラザ2周年記念に日にオープンしました。「シャプラ・アミュプラザ」のサブタイトルは【神聖なる森の癒し】です。森とは勿論この地球であり、偉大な自然です。このお店は、都市空間で生きる人たちに、自然の息吹を与えるためのお店です。


そして、私達「からだ・はうす」にも、大きな神聖の息吹を吹き込んでいただきました。
そして、2ヵ月後私達の夢の集大成ともいえる、大型スパが誕生する導きともなってくれたのです。

 



     PART
11、夢の果実  シャプラ・サンロイヤルの誕生



夢は保ち続ける事自体が、大きなエネルギーを必要とする。しかしそのエネルギーと思いがなければ、私達はきっと成長できないのだろう。
私達、からだ・はうすの再生に向けて、宇宙の光のメインである4人の女神達の強力なサポートの元に「シャプラ・アミュプラザ」という形で結実しました。


街の中心となる商業ビルでの店舗展開は瀬戸社長にとっても、大切な目標の一つであったし、「からだ・はうす」が、地元企業から抜け出すために超えなければならない大きな壁でした。
そして、このシャプラ・アミュプラザ店にやや遅れて始まった新しいプロジェクトが「シャプラ・サンロイヤル」店のオープンです。


これは、鹿児島でも有名なリゾート・ホテルであるサンロイヤル・ホテルさんの中に、ホテルとの提携で生み出されるリゾートスパの名称です。このサンロイヤル・ホテルさんは、実はプロ野球のロッテやサッカーのJリーガーをはじめ、プロのスポーツ選手や芸能人達が必ず利用するホテルで、非常に格式が高いホテルです。その12階に私達「からだ・はうす」最大のリゾートスパをオープンさせる事になりました。



勿論鹿児島ですから天然温泉があります。それも私達のサロンの正面が、温泉の入り口ですから、私達のサロンと一体化したサービスを提供できます。お客様はトリートメントの前後に、桜島を望む展望温泉で、ゆったりとした時間を過ごす事もできすし、同じホテルの中には、フランス料理や和食などのグレードの高いレストランで、おいしい食事を楽しむこともできます。


お客様は、アロマやフェイシャルなどのトリートメントを受けるだけでなく、温泉や食事、バーなどで、優雅なホテルスティの時間を過ごすし、デイスパでのくつろぎを得る事ができます。勿論宿泊客だけでなく、鹿児島在住のお客様にも、最高級の「癒しの時間」を提供できます。自分の時間を楽しむこと、自分自身を大切にする事、がこのサロンのテーマですから。


このホテルのリゾートスパは、瀬戸社長にとっては、最大の夢でした。いつも海外に旅行に行くと必ず、その街の最もグレードの高いスパにお客様として訪れ、施術を受け研究してきました。
そして、いつかは、鹿児島のリゾート・ホテルに、みんなで力をあわせて、全国に誇れるようなリゾート・スパをオープンさせたいと思っていました。

瀬戸社長とからだ・はうすの大きな夢が、今現実となったのです。

    
        PART11 からだ・はうすの新しき夢

     からだ・はうすオプシア、そしてシャプラ・ウエルライフ


H18年は、秋から冬にかけて、アミュプラザ鹿児島そして鹿児島サンロイヤルホテルという鹿児島を代表する商業施設に相次いでシャプラをオープンさせ、「からだ・はうす」のあたらしいスタイルをうちだした年でした。

時は、本当に早く過ぎ去っていくものです。油断しているとすぐに見失ってしまいます。チャンスもそうです。いつも周りを、注意深く見つめていないと、自分の横をするりと過ぎ去ってしまいます。

H19年にひり、「シャプラ・アミュプラザ店」と「シャプラ・サンロイヤル店」がようやく落ち着き始め頃、また新しい話が動き始めました。其れも2つ同時にです。

ひとつは、鹿児島でも有数の企業「ミスミ」グループが企画したショッピング・センターからのオープニングにあわせた出店依頼でした。

「ミスミ」グループは、ガスやガソリン、住宅建設、本・CD、外食、ゴルフ場などを、幅広く手がける鹿児島でも、最も成長した企業のひとつです。

そのミスミグループとひとつになって、あたらしいショッピング・センターを作る事ができるという事は、私どもにとっても非常に光栄なことでもありました。

しかも、そのショッピング・センターの名前は「オプシア」。
ギリシャ語で、「大地の豊穣の女神」という名前です。

おりしも、TAKESHIのヒーリング・スクールでは、大地の女神ガイアのスクールが始まった頃でした。まさに。大地の女神ガイア様からの贈り物としか思えないお話でした。

「オプシア・ミスミ」で私達に割り与えられた場所は、1階のメイン通路の並びで、とても人の流れが良い場所です。

今回は、ショッピング・センターでお買い物ついでに気軽にマッサージを楽しんでもらいたいという気持ちから、新しいお店は、からだ・はうすとして出店することになりました。

そして、大地の女神オプシアにちなんで、女性スタッフをメインにそろえ、明るく馴染みやすいお店として、H19年の11月にオープンさせることができました。



今回の、からだ・はうすオプシア店の特徴は、インターネットのヒーリング・スクールでも、私と一緒に女神のパワーを、皆さんにお伝えするお手伝いをしてくださっているKISAさんのヒーリング・アート(宇宙の宝石)を常時展示するミニギャラリーも併設したことです。

お体のマッサージやトリートメントを行った後に、女神や天使達の絵をとおして送られてくる光に心も癒されることでしょう。

 
      PART12 夢の最終章  からだ・はうすの新しい流れ


12年前、小さなテナントとして、天文館に「からだ・はうす」をオープンさせてからいくつものサロンを作りあげてきました。そのひとつひとつが個性的で異なる役割と目的を持ったサロンでした。


女性専門のサロン「からだ・はうすレディス」は、当時鹿児島で初めての女性専用のマッサージルームとしてH8年にオープン。H19年には、当時鹿児島最大の商業施設であったアミュプラザ鹿児島における「シャプラ・アミュプラザ」として引き継がれました。

また鹿児島最大の温浴施設「野天風呂薩摩いろはの湯」のマッサージルームは、温泉と共に気軽にマッサージを楽しめるお店として、今でも数多くのお客様を、お迎えしています。


そしてヒーリングサロンの流れを作ってきた「シャプラ照国」、贅沢な1軒屋のデザイナーズ・ハウスそのものがおしゃれなサロンとして作られたのです。


その流れを引く「シャプラ・サンロイヤル」は、鹿児島有数のシティホテルの12階につくられた、からだ・はうすグループ最大のサロンです。ここでは、ホテルに宿泊される方たちへ、トリートメントの施術を提供させていただいております。お客様の中にはプロのスポーツ選手や芸能人、政治界・経済界でご活躍される方たちも数多くご来店されております。


郊外型のショッピング・センター「オプシア・ミスミ」にからだ・はうすオプシア店がオープンしたのはH19年の11月でした。ヒーリングアートのギャラリーを併設し、生活密着型のサロンとして誕生させました。


そして夢の最終章は、「シャプラ・ウエルライフ」。女性の専門病院とのコラボレーションにより、女性のためのトータルケアを行うための施設の一翼を担わせていただくことになりました。

そして、ここがまた、私どもの新しい夢の始まりになることでしょう。